岡田 久美子
経歴
☆1971年3月21日
札幌市に本間家(旧姓)の長女として生まれる。
未熟児に近い小さな赤ちゃんだったそうです。
父は銀行員
母は専業主婦
他、祖母(父の母)
父の妹で暮らしていました。
ものすごく泣き虫の子どもでした。
小学校1~2年生のとき
担任の先生に
「泣いてばっかりいたって
何も伝わらないよ!」
と激しい剣幕で言われたのを覚えています。
また、とてもとても暗い性格で(笑)
いつも人の後ろに隠れ、
自分から人に話しかけられない
子どもでした。
私が5歳のときに弟が生まれましたが
弟に対しては結構威圧的な姉だったような
気がします。
☆1981年~
小学校5年生~中学校1年生
クラスで無視(いじめ)にあいました。
自分の存在価値も認められなかったです。
かといって、
自殺する勇気もない子どもでした。
そのいじめられっこエネルギーを
ずっと引きずって
気を許せる友達がなかなかできない
中学校、高校時代
人を信じるということが
ほとんどできなくなっていました。
もちろん彼氏ゼロ(笑)
☆1993年 養護学校の教員になる。
福祉系の大学に行きたいという
友達を見て、
「こんな私でも、人様の役に立てるのか?」
と思い、福祉系の大学に入学。
福祉系の仕事か
教職系の仕事を
選ぼうと思っていました。
教員になった一番の理由は
養護学校の教育実習。
公務員なら、親も納得するだろうという
思いもありました。
ちなみに、中学校での教育実習は
中学生とコミュニケーションを
とるのが難しくて、無理だと思いました(汗)
養護学校のお子さんは
可愛かったです。
人の前で話すのが苦手だったので
慣れるまでに時間はかかるだろうなと
思いました。
かなり勉強はしたおかげか?
ストレートで
教員採用試験に受かりました。
単に受かりやすい時代だっただけなんですけど。
親元を離れて生活するようになり
仕事にも慣れて
周囲の人間関係にも恵まれ
楽しいことも増えてくると
自分の暗い性格のことは
あまり気にならなくなってきました。
☆1999年 初カレができる。
彼氏がはじめてできたのは
29歳のときでした。
遅いですね(笑)
向こうからのアプローチで
付き合い始めましたが
自分が自分を認められない人なので
好きなのかどうなのか
イマイチ自分の気持ちがわからないまま、
つきあっていました。
そうしたら案の定
すぐに終わりを迎えました。
結果的には
向こうに好きな人ができて
別れた形になったのですが、
自分の気持ちがよくわかっていなかったことが
原因になっていたんだと思います。
つきあっているときは
自分の気持ちも不安定になることが
多かったので、
別れてホッとはしたのですが
ショックでもありました。
女としての自信はへこみ
それから1年間で
10キロダイエットを敢行
見事達成しました(笑)
仕事は充実していました。
お子さんの教育に情熱を傾ければ
お子さんもそのぶん成長していくのが
楽しくて、
仕事にはまっていました。
☆2006年 キネシオロジーとの出会い
この当時、受け持っていた
お子さんの中に
対応が難しいお子さんが
おりました。
お子さんの気持ちがわからない。
どうすれば、お子さんたちが
落ち着いてくれるのか?
今までの経験が、全く通用しない。
「お前は本当に、子どもの教育に
人生を賭けられるのか?」
と神様に問われたような
感じの出来事でした。
試行錯誤する毎日の中、
キネシオロジーの師匠、
齋藤慶太との出会いがありました。
慶太さんについて何かを学べば
自分も変わるかもしれない。
そういう思いで
キネシオロジーを学び始めました。
☆2010年 恋にも仕事にも活路を見出せない。
キネシオロジーを学ぶようになり
少しずつ、
自分自身の人生を生きようとする
方向性に向かうと
だんだん公務員でいることが
窮屈に思えてきました。
仕事はやりがいはあるし
それなりに地位もあったのですが
とにかく忙しすぎて、
このまま続けていても、
「私の本当にやりたいこと」は
永遠にできないのではないか?
と思えて。
でも本当にやりたいこと
ということが何なのか?
今考えると、
全然よくわかっていなかった。
好きだった人にもフラれ
悶々とした時期でした。
「結婚して退職したい」
というのが口ぐせの時期でした。
☆2011年 夫との出会い→結婚へ
夫とは、
キネシオロジーの仲間の紹介で
出会いました。
最初の印象は
彼が静かだということと
容姿がタイプではなかったので
結婚なんて考えもしませんでした。
夫からのアプローチで
何回か会ううちに、
話したら意外と楽しいのと
今まで感じたことのない
安心した気持ちと、
自然体で受けとめてもらえることが
結婚の決め手となりました。
本当によくできた夫です。
知り合って今年の1月で5年目ですが
愛を教わっているなと思います。
結婚にあたり、
夫の勤務の関係で
私が仕事を辞めざるをえない
状況になりまして。
ものすごく悩みましたが
一歩踏み出すことに決めました。
「結婚して退職したい」
が本当に叶ってしまいました。
☆2013年 退職&新生活へ
夫の稼ぎだけで生活する
自分を受け入れられずに
結局は教師に逆戻りしました。
大阪市の臨時職員として、
2013年5月~2014年3月まで、
特別支援学校に勤務しました。
その勤務生活を通して
改めて、教員として、
自分の人生は賭けられないということを
再確認することになりました。
子どもの成長を見守り、育てる。
情熱を傾けられるだけの
やりがいを感じます。
実際、頼りにもされていました。
けれど、私にとって
本当にやりたいことなのか
自らに問いたくて
同僚からは
もったいないと言われたのですが、
辞めました。
☆2014年6月~現在
2007年にキネシオロジーを学んでから
教員の仕事をしながらも
月に一度
キネシオロジーの練習会を
自主的に開催していました。
キネシオロジーに
何か心惹かれるものがあったからです。
だから、自分が本当にやりたいことは
キネシオロジーだろうと思い、
開業しました。
キネシオロジーのセラピーを
自宅サロンで行いながら、
体験会や講座を開講し
キネシオロジーを広げる
仕事をしています。
キネシオロジーを仕事にするようになって
一番の変化は
私を支える家族
友人、仲間
お客様や受講生さんたちと
今までにはとることができなかった
深いコミュニケーションを
少しずつ取れるようになってきた
ということです。
深いコミュニケーションとは
本音を話し合い
本当の自分自身を見せることができ
また相手のことを受け入れられると
いうこと。
私は自分の本音を
一部の人にしか
素直に表現できない人間でした。
なぜかというと
それは私の今までの人生における
闇の部分と関わりがあります。
私は、自分の存在価値を
人一倍認めてほしい人間なんだと
思います。
けれど、小さな頃、
一番身近な親からは
自分を認めてもらえないと
感じていました。
昨年受けたセッションの中で
「私は父をいじめていた」
というキーワードが出てきましたが
私は、無意識のうちに
父親に威圧的、だったようなのです。
少女時代にいじめられたのも、
親から認められないのも
この威圧的だったことが
関係しているのかなと思います。
これはもしかしたら
前世ともかかわるテーマなのかもしれませんが
よくわかりません。
理由はさておき
小さい頃の私にとって
周囲の人全部が
自分を圧倒してくるタイプの人間に見えて、
自分の本音を出すことはできず、
存在価値を認めることができなかった。
自分の周囲の人間関係の中では
自分の存在価値を認められない私が
選んだ対象が、
「弱い立場の人」でした。
一番象徴的なのが、障がいのあるお子さん。
「困っている人や弱い立場の人になら
自分を出すことができ、
かつ、自分の存在価値を認められるから」
と無意識のうちに、
考えたのだと思います。
私がかかわってきたお子さんは
言葉をもたない方が多かった。
だから、直接的に
お子さんたちから圧倒されたり
責められることはないだろう。
私は深い部分でそう思っていたんですね。
今だからのカミングアウトですけれど
若い頃は、結構威圧的な言葉も
お子さんたちには投げかけてきました。
「ダメ!」という言葉も沢山言ったし
制止も沢山しました。
嫌がって座り込むお子さんを
引っぱって立たせることもありましたし。
私の存在価値を見出したくて
選んだ仕事なのに、
弱いはずのお子さんたちが
自分を表現してくる。
私を圧倒してくる。
これでは、自分の存在価値を
認められないかもしれない。
だから、お子さんたちに対して
威圧的に接していたのだ、
ということが
ようやく最近腑に落ちたのでした。
長かったです。
「自分の存在価値を認めるために
弱者(と私が感じる相手)に対し
威圧的なコミュニケーションを
とってきたこと」
かなりの闇=病み具合です。
自分が若い頃
かかわったお子さんたちには
非常に申し訳ないことをしました。
だからこそ、
沢山のことを教わったお子さんたちに
恩返しをすることが
これから自分ができることなんだと
思います。
お子さんたちの存在は
まさに自然体で
「癒し」でした。
教員をやってきた
20年間で、私は知らずの間に
癒されていたんです。
傷ついてきた自分を癒すのに、
20年間を要した、とも言えます。
癒されながら学んできたことは
数多くあります。
障がいがあるお子さんたちが
「弱い立場の人」と思っていたのは
私の大いなる勘違いで、
実は、お子さんたちの
魂はとっても強いです。
そして、尊く、純粋です。
なので、彼らには、
本音しか伝わりません。
言葉が話せるか話せないかなんて
関係ない。
「本音」って、
感覚で感じ取るものなのだということを
学びました。
教職に就く前は、
障がいを持っていない
いわゆる「普通」の人に対して
恐怖心がありました。
すごく臆病だったので
自分の本音を言うと、
みんなが離れていく
という思いがあったためです。
けれど、
私は知らずの間に、
お子さんたちとの関わりを通して
「本音で人と関わること」を
学んでいたのでした。
そして、
愛もたくさん学びました。
教員を続ければ続けるほど、
お子さんたちの愛らしさに
魅了されていきました。
私が自分の良さを
認められなかったぶん
自己肯定感が低い子どもたちの
認められなさを
誰よりもわかってあげられるように
なりたいと思う気持ちも
人一倍強かったんです。
だから自分でも感心するほどに
お子さんに対しての関わりは
真摯でした。
きっと私は、
人と深い、密なコミュニケーションを
とりたい人間なんだと思います。
だから、常に
自分のことも、人のことも見ていたい。
自分も、周囲の人も幸せになってほしい。
そう願ってお仕事させて頂いています。
受講歴
(キネシオロジー関係)
2007年
・ブレインジム101
2008年
・ベーシックキネシオロジー(現在は無し)
(内容的には、目標設定心理カウンセリング、
タッチフォーヘルス1~4、
タッチフォーヘルスメタファー)
・インテグレイテド・ヒーリング(IH)1~2
2010年
・インテグレイテド・ヒーリング(IH)4
2012年
・1からはじめるキネシオロジー上級 2回受講
・タッチフォーヘルス1~4、メタファー
・頭蓋骨微細ヒーリング(Beauty-K)
2013年
・1からはじめるキネシオロジー上級
・目標設定心理カウンセリング
・身体感覚カウンセリング
・タッチフォーヘルス 2、4
・タッチフォーヘルスメタファー
・筋肉反射テストin depth
・1からはじめるキネシオロジーインストラクターコース
2015年
・頭蓋骨微細ヒーリング(Beauty-K)(再受講)
・筋肉反射テストin depth(再受講)
(それ以外)
2007年
・マルセイユ版タロット講座
・カモワンタロット講座
・アデプトプログラム
2010年
・死後探索 レベル1
2012年
・1DAYレインドロップ講座
2013年
・リズミカル・ブレイン
2014年
・チャネリングスクール
2015年
・リズミック・ブリージング(レベル1&2)
・モダン数秘学ワークショップ(レベル1)
・バイロン・ケイティ・ワーク 入門ワークショップ(レベル1)
・メタフィジカルアロマ ベーシック&アドバンス
・マーク・エインリー コンテンポラリー風水基礎講座
セラピー / セッション / カウンセリングにおける得意分野
丁寧に話を聞くカウンセリング
生きづらい方、障がいをもった方とのかかわり
タロットリーディング
このような方が来られています
・お子さんに障がいがあるお母様
・ご自分に自信がもてない方
・ご自分の両親に愛されず育ってきた方
・ご自身のお母様と上手くいっていない方
・だんな様とうまくいっていない方
・要介護のお母様と同居されている方
サロン情報
キネシオロジースペースOpen Sesami
- 営業時間
- 10時~20時
- 住所
- 大阪市住之江区
- 最寄駅
- 南海本線住ノ江駅 徒歩5分
- TEL
- 090-8637-7768
- メールアドレス
- qqt4495d@jewel.ocn.ne.jp
日常生活で「筋肉反射テスト・キネシオロジー」をこんな風に使っています。
「夫の腰痛がひどい」ときに
「夫の腰痛がひどい」ときに 筋肉反射テストを使います。 普通は 体の調子が悪い=病院に行こう、薬をもらおう だと思うのですが、 キネシオロジーでは、 体の調子が悪い=何らかのエネルギーの乱れ と考えます。 通常だと、腰痛 […]
キネシオロジーを学ぼうと思われている皆さんへ
岡田 久美子の1キネ基礎講座
現在、このインストラクターの基礎講座の予定はありません。
決定次第お知らせします。
岡田 久美子の体験会/お茶会
現在、体験会/お茶会の予定はありません。
決定次第お知らせします。